



何かに集中していない間は頭の中で色々考えがちです。その時にする考え事の内容が、いつかやるタスクだったりやりたいことだったりすると「今すぐできないこと」をずっと繰り返しシミュレーションすることになり、でも実行には移せない…ので現実とのギャップに疲れてしまいます。本来はやりたいことのはずなのに、頭の中だけで「それをやる自分」を想像しすぎると、まるでやりたくないことだったかのように錯覚することすらあります。そして脳内で働きすぎて限界が来そうになると、それ以上消耗しないように「やりたくない〜!!」とアラームのように内なる声が出てきます。
この仕組みをよく分かってなかった時は、(なぜそんなこと言うんだ。自分で決めたことなのにやりたくないなんて思うのはおかしい…)と跳ね除けてしまうこともあったのですが、最近はようやく内なる声の真相に気づいて、「いま考えてもしょうがないし、頭を休ませた方が良いんだな。」と思えるようになってきました。
ただ、頭を休ませるのも自然にできる時とできない時があるので、(どうしても頭が落ち着かないな…)という時は誰かの書いた日記やエッセイを読んだり、ラジオを聴いたりしています。他人の視点に目を向けると、自分の思考から離れることができるし、たまになるほど!と思う発見もあったりで、わりと良い策なんじゃないかと思います。
以前の日記にも少し似たことを書きましたが、私は「やりたいことを頑張りたい!」という気持ちと同じくらい、「無理してまで頑張りたくはない!」という気持ちを大切にしています。これは怠惰と言われたらそうなのかもしれないのですが、経験と観測上、人はやりたくないことを頑張り続けているとなんだか自分が被害者のように思えてきたり、周りが加害者のように見えたりすることがある…と認識しているからです。「私はこんなに頑張っているのに、苦しい」とか「あいつはなんで楽して上手くいっているんだ!」とか、誰しもちょっとは考えたり、あるいはそう言ってる人が周りにいたりするんじゃないでしょうか。もちろん、軽い嫉妬とかポジティブな気持ちで口にしてる場合もあるのでしょうが、自分が「苦しんで頑張る」ことを是としているが故に本気でそういうことを言っている人もいると思います。
素直な気持ちで努力できるのはとても良いことですが、心と一致してない状態で何かを頑張り続けると、どこかで「自分はこれでいいのかな?」とズレが生じて、ある人は周囲に同じ傷をつけることで安心したり、またある人は過度に自分を否定して傷つけたり…。負のパワーが内に出やすいか外に出やすいかは人それぞれですが、いずれにせよどこかで歪みが生じてしまいます。
恐らく、そうして病んでしまう人たちにも「やりたくないよー!」とか「苦しいよー!」みたいな心の声は存在していて、タイミングが悪かったり置かれてきた環境のせいで聞こえなくなってしまうのではないのでしょうか。そんな人たちが増えていくと、社会では心を無視して何かやることが当たり前になり、「無理してでも頑張る」ことが良しとされ苦しむ人は増え…負のループに陥ってしまいます。別にそれは仕事とか教育とか分かりやすいものに限らず、どんなことにも言えるのではないかと思います。
私自身はそういった負の連鎖に取り込まれるのも、自分で誰かを巻き込んでしまうのも本当に嫌なので、先手を打って「無理しない」ことを意識しています。まあ、そうやって嫌なことを避け続けた結果、現状は元気な引きこもりみたいな生活をしていますが、犯罪とかはしてないのでセーフ…と思うことにしています。今回も長々と書いてみましたが、本当に「生」を上手くやれている人はこれはやりたいとかやりたくないとか、そういうことを考える瞬間もほぼないでしょう…。自分も早くそちら側の領域に行ってみたいものです。やりたい時にやる、やりたくない時はやらない、そんな単純で自然な生活を送れると良いですよね。それでは!












